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MAY'S『Dreaming』 

以前にも紹介したMAY'Sの1stアルバムが14日に発売さえました!!!!!!

『WINTER SPORTS FESTA season8』のCMソング、日テレ系『音楽戦士』のPOWER PLAYのダブルタイアップとして話題の3rdマキシ「KISS ~恋におちて...冬~」をはじめ、2007年にリリースし、冬の究極ソングとして定着した「Dear...」の続編「DESTINY ~for Dear...~feat. CLIFF EDGE」など、バラエティーに富んだ楽曲が満載の全16Track収録!豪華アーティストも多数参加!ブレイク間違いナシの超話題作です!

サイコーにカッコ良い1枚に!!

ではオススメの1曲!!

KISS〜恋におちて...冬〜を↓↓↓



あけましておめでとう! 

あけましておめでとう!

って言ってももう14日
(2週間も経ってるやないかーい


年末年始は飲み会やらなんやらで忙しかった・・・

そのせいか体重が・・・

5キロ増・・・

ヤバいよね

そのため肉体改造を計画、実行中!!

みなさんに見せられる体になったら画像添付します!!

いつになるかわからないけどね(笑)


てな感じで今年もがんばるぞ!

家族みんな健康で安全、そして幸せな一年になりますように

あとみなさんにも幸せな一年になりますように祈っております!!!!

有馬記念・・・ 

第53回有馬記念(2500メートル)1番人気のダイワスカーレット(安藤勝己騎乗)が2分31秒5で優勝した!!

2着は14番人気のアドマイヤモナーク、3着には10番人気のエアシェイディと、ともに下位人気馬が入り、3連単の払戻金が100万円に近い大波乱。


あ〜中山に相性が良いマツリダゴッホを本命で馬券を購入・・・

そのマツリダゴッホは12着と惨敗に終わった・・・

でも1番人気で優勝したダイワスカーレットを軸にしてもアドマイヤモナークはノーマークだったので当てることはできなかったな・・・

津田恒美『最後のストライク』 

津田恒美『最後のストライク 津田恒美と生きた2年3ヵ月』

「弱気は最大の敵」といつも自分を励まし、どんな打者にも直球1本で勝負を挑んでいった広島カープの投手・津田恒美。
炎のストッパーと讃えられた彼だが、29歳の若さで悪性の脳腫瘍に倒れてしまう―。
もう一度マウンドに立つことを誓い、不屈の精神で最後まで闘いつづけた姿を、最愛の妻が綴った感動と勇気のドキュメント。

津田

1981年のドラフト1位で広島東洋カープに入団。1年目の1982年、先発投手として11勝6敗の成績を残し、球団初の新人王に輝いた。しかし2年目以降は、ルーズショルダーや中指の血行障害などに悩まされ、登板機会が激減する。

その後、血行障害を治すため、世界初となる中指の靭帯を摘出する手術を受ける。1985年「恒美」から「恒実」へと改名し、1986年に抑え投手として復活、カムバック賞を獲得すると共に、チーム5度目のリーグ制覇に大きく貢献した。1988年には、肩痛などが遠因しリリーフ失敗を繰り返すなど9敗を喫し、『サヨナラの津田』とも揶揄されたが、翌1989年は12勝5敗28セーブを挙げる活躍で最優秀救援投手に輝き、再び復活を遂げる。縦横の鋭いカーブや得意の剛速球を武器に相手打者に敢然と立ち向かう姿は『炎のストッパー』と形容され、ファンを魅了した。

しかし、再び故障の為に登板数が減った1990年のシーズン終了後から頭痛をはじめとする体の変調を訴えるようになる。1991年、前年から続く体調不良を抱えたまま開幕を迎え、4月14日、無理を押して広島市民球場で行われた読売ジャイアンツ戦に登板するが、大乱調のためたった9球で降板。結局敗戦投手となる。これが自身の生涯最後の登板となった。

この試合の翌日、広島大学病院に検査入院。精密検査の結果、手術で摘出できない位置に悪性の脳腫瘍があることが判明。同年限りで現役引退し、闘病生活に入る(球団は本当の病名を伏せ「水頭症のため引退」と発表した)。一時は奇跡的な回復を見せ、現役復帰に向けたトレーニングも行うようになったが、1992年秋頃を境に再び病状が悪化。1993年7月20日、32歳の若さでこの世を去った。


広島市民球場にはその功績と人柄を讃え、「直球勝負 笑顔と闘志を忘れないために」と刻まれたメモリアルプレートが設置されている。

遠藤!6年連続史上最多6度目のベストイレブン!! 

Jリーグの年間表彰式「Jリーグ・アウオーズ」でトヨタ・クラブW杯で世界3位を勝ち取ったG大阪の日本代表MF遠藤保仁(ヤット)は、史上初の6年連続6度目のベストイレブンに輝いた!!!

オメデトウ(*゚▽゚)/゚・:*【祝】*:・゚\(゚▽゚*)

今季は記録だけではなく記憶に残るシーズンだった!
日本代表では中心選手として活躍し、北京五輪のOA枠に選ばれたが7月にウイルス感染症を患いで辞退、ACLでは初制覇し、大会MVPも受賞!!
クラブW杯でも、3戦2発で世界3位の立役者となり、その存在感は群を抜いていた!!

クラブW杯で対戦したマンUのファーガソン監督は優勝した後に決勝戦を振り返って、「たたえたいことは、G大阪が非常にいいチームだったこと。特に遠藤が良い選手だった。キトの中には遠藤と同じ質を持つ選手はいなかった」と自ら遠藤の名前を挙げ、褒めたたえていた!

元日本代表監督のオシムのマンU戦を終えたあと「遠藤が世界的に通用するのが分かった。」とたたえた!

世界の遠藤だ!!!
そしてこれが世界の遠藤のコロコロPKだ!!!